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  連載コラム 2006.秋 最新号

札幌電気工事業協同組合 理事長 尾池 一仁
「中国紀行」2006年 2弾
   前回の中国紀行では、中国絵画を代表する水墨画の背景で有名な桂林を尋ね川下りを楽しむも、エンジン付きの大型遊覧船で、更には、物売り攻勢での船旅では折角の幻想的な風景も霞んでしまい、失望してしまった事を紹介した処で、紀行文も脱線し元に戻らないまま終わりになってしまいました。改めて続きの紹介をさせていただきます。

 桂林地方はカルスト台地であることから、至る所に鍾乳洞が点在しています。桂林の最後の夜は、米国のクリントン大統領を招待して晩餐会が行われた蘆笛岩(ろてきがん)洞窟で、民族舞踊などを観賞しながらのディナーパーティーでした。
会場に着くまでは同伴の仲間と「国賓並みの待遇を受けるなんて俺たちもずいぶん偉くなったものだぜ」と冗談を交わしながら湿った通路を奥に進むと、巨大空間が現れました。周りには様々な鐘乳石が乱立し、ライトアップされた空間は実に幻想的な世界でした。当然のことながらディナーパーティーですからテーブルには色とりどりの見慣れない料理が並んでいました。

 他国の食文化をとやかく言いたくは無いが、桂林地方の料理は食材が明確でなく、薄気味悪く食が進みませんでした。食事はともかく、日本の観光資源は桂林あるいは知床のような自然資源が少なく、京都・奈良に代表される文化的資源が多いことから、私は日本の観光地を訪れるとその土地の歴史文化を感じ、人々の営みを思い描き何時も余韻の残る旅となります。
今回の桂林の旅は、地球規模での自然環境変化の雄大さを感じつつも思い出すものは少なかったように思えます。

 翌朝は行きたくもない土産店に立ち寄り、国内線で桂林空港を飛び立ったのが11時50分、2時間の飛行の後に上海空港に13時50分に到着しました。上海観光は骨董品市場めぐり、建設中のマンション視察、そして今回の私の視察目的であるリニアモーターカー試乗視察と3班に別れての体験視察でありました。

 上海市内と上海空港を結ぶリニア路線には上海郊外の龍陽路駅と空港駅の二駅しか有りませんでした。私たちは上海駅で往復のチケットを80元(1元15 円)で買い、自動改札を抜けて2階のホームへ昇り、待つこと7分余り音も無く白地に青色ストライプ模様の5両編成の流線型リニアが到着しました。

 リニアカーの原理は軌道上に埋められたプラスの磁石と、車両で発生させるプラスの磁界とが反発して車両を浮かせると共に、前進方向への推進力を発生するものだと理解をしていた私は、山梨県にある日本のリニアモーター走行実験線のように軌道の両側に壁があるものだと思っていました。ところが、壁などはどこにも無く、平らな高架橋がどこまでも続いていました。飛びだしてしまうのではないかと不安に駆られましたが、仲間の手前逃げ出すわけにも行かず意を決して窓側の席に座りました。

 まもなく発車の知らせと共に音も無く走りだしたと言うより、すべり出したと表現するほうが適していると思います。2分もしないうちに車内のスピード表示パネルは新幹線の最高速度である時速320キロを示し、更に1分30秒後には私にとって初体験の時速430キロに達していました。車内で聞こえる音は若干の風切り音程度であり、乗車する前に抱いていた恐怖心も忘れていましたが、対向車両とすれ違った際に、突然の対向風圧と横揺れを体感したときはさすがに肝を冷やしました。時速430キロでの走行が30秒ほど続いたと思ったらたちまち減速走行となり、車窓からの景色も見られないままに発車から8分で30km 先の空港駅に到着してしまいました。

 復路はホームを変えて乗り込み、余裕を持って車窓からの景色を堪能出来ました。リニアカーの軌道は地上15mの高架橋であり、壁が無いので建物あるいは高速道路全てが下方に見られました。まさに銀河鉄道の如く電車が空を飛んでいる体感を味わったリニアモーターカー試乗体験でした。

 中国のリニアカーはドイツの技術によって実現したものであります。日本のリニアモーターカーはまだ実用運転には至っていませんが技術全てが国産であります。山梨実験線では2003年に有人で世界最高速度の時速581キロを達成していることもご案内すると共に、一日も早い実用運転が出来ることを日本人の一人として期待しています。

 6000年の歴史を有する中国は骨董品の宝庫としても紹介されています。今回も骨董品市場の視察がオプションとして企画されていました。最後になりましたが骨董品市場での逸話を紹介させていただきます。日本の観光地でお土産屋が軒を連ねるのと同様に、骨董品店が軒を連ね様々な骨董品が売られている店先の裏庭では、今売られている骨董品をせっせと製作している光景を目の当たりにしてあいた口が塞がらなかったそうです。
中国の一部にはいかにしてお客をだますかが商売であり、それを正当とする経済がまだあることを紹介して2006年中国紀行完結とします。


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