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     連載コラム 2011. 新年 バックナンバー
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札幌電気工事業協同組合 理事長 尾池 一仁
『「永遠の0(ゼロ)」』を読んで
 
 「久かたぶりに涙する小説に出会ったので君も読んで見ないか」と一冊の単行本を受け取った。表題は「永遠の0」である。この本のことは、特攻隊員の物語である記憶があり、読んでみたい一冊であった。

 私、あるいは読者の皆さんは、特攻隊に関する書物を読まれたことがあると思われるが、この小説の趣は勇敢な愛国心の陰で家族への思いを綴った物語ではないのである。明日、戦死するかもしれない苛酷な戦場で愛機の零式戦闘機と共に死ぬことよりも、生き延びる戦いを選択した戦闘機乗りの物語であり、異質な感動を受けたのである。

 物語のあらすじは弁護士を目指す法学部の学生 健太郎と情報誌のフリーライターの姉 慶子の姉弟が母親 清子から特攻隊で戦死した祖父 宮部久蔵の軍隊での生き様を調べることを頼まれ、祖父の戦友を訪ねる所から始まるのである。

 姉弟の母 清子は、戦死した久蔵と祖母 松乃の間に生まれた、ただ一人の実子である。戦後、松乃は高名な弁護士 大石賢一郎と再婚し、久蔵が戦死しても久蔵の思いであった家族を守り抜くことができたのである。

 最初に訪ねたのは、昭和16年暮れに日本海軍による真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まり、日本軍は破竹の勢いで南方を制圧し、オーストラリア攻略の前線航空基地 ラバウル航空隊で戦友であった元海軍少尉 長谷川という老人であった。長谷川は姉弟に向かい「君達の祖父である宮部は海軍航空隊一の臆病者で、戦闘ではいつも逃げ回っていた。軍人の風上に置けぬやつだった」と言われてしまう。姉弟が期待していた立派な軍人像とはほど遠く、すっかり気落ちしてしまうのである。

 それでも姉弟は祖父と半年間、空母「赤城」の搭乗員であった元海軍中尉 伊藤を訪ねた。伊藤は姉弟の祖父が臆病者であったかの問い掛けに「たしかに宮部は勇敢なパイロットではないが、優秀なパイロットでした。戦闘志気を高める勇猛さが求められる軍人としては、物腰が柔らかな宮部は仲間はずれの対象であった」と聞かされ、姉弟は次の戦友探しに希望を持ったのである。

 3人目の戦友は長谷川老人と同じラバウル航空隊で一緒に戦った元海軍飛行兵曹長 井崎であった。井崎は、「祖父に生き延びる戦い方を学んだからこそ、今日がある。宮部小隊長は零戦の飛行性能を誰よりも熟知していた。勇敢な上官は大勢いたが、操縦技術は一番であった」と話した。また「私が敵機を深追いして、あやうく撃墜されそうになった時、小隊長は神技的操縦技術で私を救ってくれたのである。地上に戻った私に『いいか井崎、何よりも大切なのは、敵機を何機撃ち落とすかよりも撃墜されないことが大事であり、例え敵機を撃ち漏らしても生き残ればまた、敵機を撃墜する機会があるではないか。とにかく生き延びろ』と教えられた。こうして宮部小隊長には、幾度となく命を助けられたのだが、何よりもすごいことは、出撃にあたっては小隊長機と部下二、三機の一小隊で戦うのだが、宮部小隊長、自らは無論のこと、僚機を一度も失うことがなかった」と聞いたのである。姉弟はこんなに優れた操縦技術を持つ祖父がなぜ特攻に行ったのか疑問を抱くのである。

 6人目の戦友は、敗戦の色濃くなった時期のラバウル航空隊で祖父をライバル視していた、現存はヤクザ組織の会長である元海軍上等飛行兵曹 景浦である。景浦は妻子の写真を持ち歩き、家族のために生きて帰りたいなどと女々しい根性の宮部には負けたくない一存で戦ったが「俺の戦いは敵を撃ち落とすのみに集中し、深追いして幾度となく危ない目にあったが、宮部の戦いは逃げる敵は深追いせず、向かって来る敵は神技的操縦技術で容赦なく敵を撃ち落とす様はまさに阿修羅のような戦闘機乗りで最後までやつに勝てなかった」と話した。昭和19年1月にはラバウルも陥落し、ラバウル航空隊の生き残りも、本国に帰還した。景浦もそうだが、宮部も学生出身の若き飛行士の訓練教官として特攻隊員を養成していたが、宮部にしてみれば軍の命令とはいえ死にゆくための訓練教官など精神に異常を来す寸前であったに違いない。再び宮部としたのは九州の最後の特攻基地である鹿屋基地であった。それは終戦間近の昭和20年8月のことであった。再会した宮部の面相は無精髭で目だけが異様に光っていて、まるで霊鬼を思わせるものだった。景浦の鹿屋での任務は特攻機の援護であった。皮肉なことに特攻を望んでいた景浦ではなく、生き延びることを望んだ宮部が特攻隊員であることの運命の無情を今でも呪わずにはいられなかった。景浦にはわかっていた。幾多の若者を運命とはいえ、特攻として戦場に送り出した宮部の苦悩を、そして宮部少尉が出した答えが自らから彼らの後を追うことであることも。運命とは苛酷なもので、宮部の最後の出撃を見送ったのも景浦であった。宮部少尉の出撃時に景浦は援護機として共に飛び立ったのだが、途中エンジントラブルに遭い、基地に引き返さなければならなくなった。景浦は宮部少尉に声の限りに叫んだ。「日本なんか負けろ。兵隊を虫けらのごとく死へ追いやる海軍なんて消えてなくなれ。軍人なんてすべて死んでしまえ・・・宮部さん、許して下さい」と涙が止めどなく流れたという。あれ程、家族のために死ねないと長い激戦を生き抜いた宮部少尉が特攻で散ってから、一週間後に日本は終戦を迎えたのである。「戦後、俺はヤクザとなり、人殺しもして多くの修羅場をくぐり抜け60年生きてきたが、真の男には出会わなかった。宮部少尉に比べれば、みんな雑魚だった」と聞かされた姉弟は祖父への畏敬の念に導かれ、最後の出撃基地「鹿屋」を訪れる決意するのである。別れ際、景浦は姉弟に「おばあさんは幸せだったのか」と尋ね、「幸せだった」と答えた時、老人の顔がわずかに綻んだのである。

 姉弟は早々に鹿屋に訪れ、資料館で本物の零戦を見て、以外に小さな戦闘機であることに驚かされたのである。鹿屋では元海軍一等兵曹通信員 大西に会うことができ、驚愕の事実を知るのである。祖父の出撃の僚機は、かつての教え子であった。そして、最後の出撃で一機だけエンジントラブルに遭い、喜界島に不時着して一命を免れた特攻隊員がいた。その隊員が義理祖父大石賢一郎であることを聞かされた姉弟は驚きのあまり言葉を失うのである。

 最後に姉弟が宮部久蔵の戦友の会うのは義理祖父大石少尉であった。義理祖父は訓練生の時から宮部教官に特別に大切にされ、負傷して入院した時にボロボロの外套を見かねて襟元を革で手を加えた外套を贈られたこともある。出撃の日、宮部少尉は自分の乗る最新の零式戦闘機ではなく、愛着のある私が乗る旧式の零戦と交換を強く要求され、上官の希望もあり、しぶしぶ承諾した。大石は最新の零戦で出撃したが、途中エンジントラブルに遭い、奇跡的に喜界島に不時着することができたのであった。その時、機内に一枚のメモがあり、こう書かれていた。「運良く生き延びることができ、私の家族が路頭の迷い、苦しんでいたら助けて欲しい」と。考えてみれば、宮部少尉は開戦以来のベテランであり、零戦のエンジン音を聞いただけで、どこまで飛べるかを承知したうえで大石に生きることを託したのである。こうして大石の命は助かり、終戦を迎えたのだが、戦後の混乱で松乃と清子に会うのに4年の歳月を要してしまった。そして、松乃に再婚を承知させるのに5年の月日が流れたのであった。戦後の混乱の中で、幼子の清子を抱えて生きることは大変なことであった。松乃は騙されて、あるヤクザの囲いものとなった。ある日、そのヤクザは何者かに襲われ殺されたのである。血刀をぶら下げた血まみれの見知らぬ男は、震えて動けない松乃に財布を投げ「生きろ」と言ったのだった。それを聞いた瞬間、姉弟の脳裏に景浦の顔が浮かんだ。

 この小説はフィクションであるが作者はあらゆる調査で史実に基づき、書き上げられた感動の物語である。更に現代の20代の若者が祖父の戦争体験の軌跡を辿ることにより、太平洋戦争で命を懸けて守った家族と国家が望み通りに成長しているのかを語りかけてくれる大作であると思います。また、現在の豊かな生活環境は多くの戦死者の犠牲のうえにあることを考えさせられるものであります。

 私がこの小説を読んで改めて思うことは、尖閣諸島で起きた中国漁船による海上保安庁の巡視船に対しての衝突ビデオの扱い方である。現場の保安官が国境海域の保安警備を命懸けで守っているのにも係わらず、政治家はビデオを基に国益を守るべく、戦略的対応をすることなく(憶測ではありますが)ビデオに映し出された中国漁船の暴挙を公表することで中国政府を怒らせては自分達の立場が悪くなるなどの理由から一般公表することなく闇に葬り去ろうとしたことであります。その結果、保安官が止むに止まれず、インターネットで公開せざるを得なかった心情は同感できるものであります。太平洋戦争で負けることがわかっていたにも係わらず、多くの兵士を特攻として死に追いやった日本軍の幹部の暴挙と重なるものを感じます。

 「永遠の0」の作者は百田尚樹であります。2009年最高に面白い本大賞を受けた大作であり、ぜひ皆さんに一読願いたく思います。
 

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